Loading…

感覚と価値観。

Posted by hirotoshi on 30.2010 Category: None   0 comments   0 trackback
ビールが二つある。
一つは普通のビール。
一つはバルサミコ酢を混ぜたビール。

なにも告げず、どちらがおいしいかと尋ねると多くの人はバルサミコ酢入りのビールを選び、
告げたうえで飲んでもらうと、多くの人はバルサミコ酢入りのビールを飲むと鼻にしわを寄せ、普通のビールがおいしいと答えた。

ある日の授業での先生の雑談なのだが、実際に実験されたことらしい。

それが載っているのがこちら。
51-4KbAnQOL.jpg



最近私は自分が味覚音痴ではないかと不安に思うことが多い。

例えば学校のドリンクの授業で毎回つくるエスプレッソ。
粉の落とし具合、つめ具合で微妙に変化する味を見極めなければいけないのだが
私にはさっぱりわからない。

野菜にしても同じで
有機野菜と普通の野菜の食べ比べにも挑戦してみたものの
美味しい、まずい以前に味の違いがわからない。

自分の味覚は人より劣るのだろうか・・・


とそんな時、あるテレビ番組で特集されていた青果店店主矢嶋文子さん。

矢嶋さんが自分の味覚を鍛えるために選んだのが『菜食』。
卵、鰹節さえ食べなかったそうな。

しかしそれで野菜の味がわかるようになったそうだ。

私は一般人の味覚なんてこんなものだと思う。

有機野菜をありがたがるのだって思い込みの効果が大きいんじゃないかと。

ひねくれ者だと思われるかもしれないし、実際有機野菜の方がおいしいのなら恥ずかしいが、今の自分の味覚と純粋に向き合った時に私に味の違いなんてわからない。

しかしここに新たな付加価値があるような気がする。

私は今まで有機野菜の付加価値というと

有機野菜 → 体にいい、おいしい

と、過程を省き、直接結論に結び付けていたが、その過程にこそ付加価値があるような気がする。

例えば有機野菜を欲しい、と思った時
矢嶋さんのお店のようなところに行ったとする。

そこでは店員とのやり取りがあったり、選ぶ楽しさがあったりする。
店員との会話では野菜の背景、味、効能、おいしく食べるためのレシピを聞く。

有機野菜、自然栽培野菜は手がかかる分、生産者が込める思いは強い。
美味しいのかどうか、体にいいのかどうかは私にはわからない。

しかし、そういう生産者の思いを伝え、知ることは少なからず味覚に影響すると思うし、野菜を買う楽しみでもあると思う。

「これAさんからもらった野菜なの。おいしいわよ。」
というのも同じ。

Aさんだって市場に出しているかもしれない。
それをAさんからもらう(買う)のかスーパーで買うのか。

その違いは大きい。

どこに付加価値を見出し、どのように伝えるのか。

とても重要なテーマ。

それが味であるなら自分の味覚を鍛えたい。

ならば矢嶋さんのように菜食にしてみようかな・・・

雨・・・。

Posted by hirotoshi on 29.2010 Category: None   0 comments   0 trackback
1週間程続いている。
東京に来てから傘をさした日は少ない。
梅雨もあったのかなかったのか。

「日本ってこんなに雨降らなかったっけ?」
と思うほど。

それだけに最近の雨はなんか嬉しい。


もうすぐ帰国して1年。

未だにシリアのことは考える。
しかし、記憶の中からシリアはどんどん消えてきている。
アラビア語も結構忘れたし。

どんどん自分の中から去っていくシリア。
でも自分の中に強く残り、全く色あせない記憶もある。

それは『人』。

家族、親戚、友人、さらには外から来た日本人まで大事にするそのホスピタリティー。
素敵だな~と思った。

少し前、高齢者の所在不明が問題になったが、
きっとこんな国なら起こらないだろうな~とも思った。


日本も昔はこうだったよ、と聞いたことがある。

では何が変えてしまったのか。

単純に今のシリアと日本を比較すると『物質的な豊かさ、便利さ』なのかな、と思う。

物は人のライフスタイルに大きな影響与える。

例えばテレビ。
シリアでは一家に一台。
テレビは家族みんなで見ていた。

しかし日本では一人一台。
必然的に一人でいる時間が増えてしまう。

シリアの家族を大切にする姿は素敵だと思う。
しかしこれから経済的に豊かになり、物質的に発展すれば日本と同じようになってしまうかもしれない。


過去の先輩方の頑張りにより急速な発展を遂げた日本。
先輩方は将来少子高齢化、核家族化などという問題が起こることを想像できていただろうか。


私はシリアで生活をして家族、親戚、友人を大切にする生活はいいな、と思った。
しかし個を大切にする日本の価値観も好きだ。


大事なのはお互いがそれぞれの価値観を認め合い、存在することだと思う。


シリアでの2年間はまだ私の中でゆっくり消化されている。