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スウェーダ小旅行。 Aug.14.2009

Posted by hirotoshi on 14.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
昨日はスルガヤでの活動が終わった後、ボスラのお祭りを見るためその足でボスラに向かいました。
 
劇場では歌や踊りなど大変盛り上がっていたのですが、こんな時に限ってカメラの調子が悪く、写真が撮れませんでした・・・
 
残念。
 
帰ってからなんとか復活しましたが。
 
ダラアの隊員宅に一泊して、今日。
 
用事がありスウェーダによって帰ることにしました。
 
ダラーとスウェーダは隣同士の県。
しかし、不便なことにダラー市街とスウェーダ市街を直接結ぶ交通機関はありません。
 
ダラー市街からスウェーダ市街に行くためには、シェーフムスキーンという村まで行き、そこからスウェーダ行きのセルビスに乗り換えなければいけません。
 
なんで大きな町を結ぶ交通機関がないのか非常に疑問なのですが、理由の一つには宗教的な問題があるようです。
 
シリアのイスラム教徒の大半はスンニ派。
ダラーもそうです。
しかし、スウェーダはイスラム教徒ドゥルーズ派の町。
他の宗派の人もいるのでしょうが、ほとんどはドゥルーズ派の人でしょう。
 
スンニ派はドゥルーズ派をよくないと思っている、と聞いたことがあり、それがスウェーダとダラーを直接結ぶ交通機関がない理由の一つだと聞いたことがあります。
 
私はスウェーダ大好きですけどね。
 
今日のスウェーダでの用事は一つ。
しかも数分で終わるような用事です。
 
それはスウェーダ県のマークの撮影。
 
各県にはその県を象徴するものが描かれたマークみたいなものがあります。
例えばダマスカス。
 محافظة دمشق2
ウマイヤド・モスクですね。
 
ハマ。
 Hamaws_0002.jpg
水車です。
 
ラタキア。
 P73102352.jpg
・・・なんですかね。
わかりません。
 
そしてスウェーダ。
 CIMG41892.jpg
なんとなくわかりますが・・・微妙ですね。
 
これらのマークを見て確実にどこなのかわかるのはダマスカスとハマ。
ラタキアとスウェーダはどこのマークなのかわかりません。
 
これらのマークを何に使うのか。
 
これら4県は絵入りリンゴ生産プロジェクトでお世話になっている地域。
各県のマークをリンゴに描こうと思っており、そのための準備です。
 
ダマスカスとハマはそれぞれの県のHPに載っていたのですが、ラタキアとスウェーダは見つかりませんでした。
ラタキアは隊員にお願いし撮影してもらったのですが、スウェーダは隊員がいないため自分で撮影しに行くしかありません。
 
しかし、どのマークも細かいですね。
 
さて、このスウェーダのマークですが、セルビスを降りて5分もしないうちに見つかり、写真を撮ることができました。
これでスウェーダ用事は終了ですが、このまま帰るのはもったいない。
 
スウェーダは初めてという新隊員も一緒にいたこともあり、せっかくなのでスウェーダの町を少し回ってみることにしました。
 
とはいってもスウェーダにはボスラやアレッポ城など観光客が訪れるような大きな名所はあまりありません。
でもスウェーダにもたくさん遺跡があるんです。
 
ただその遺跡が街の中に混在しており、家の一部として使われていたり、ゴミ捨て場になっていたり。
 
こちらは南門。
CIMG4195.jpg  
一応綺麗に修復されていますね。
 
これは南門の中にある柱の上部。
CIMG4199.jpg 
綺麗な細工がされており、これがたまにスウェーダを象徴するマークとして使われることもあります。
 
おじさんと私と円形劇場。
CIMG4204.jpg 
「ダラジ(階段)はみたか?」
と話しかけられ案内してくれました。
おじさんにとって劇場はただの階段なんですね・・・
 
家だかお城だかのの跡。
 CIMG4211.jpg
もうすぐそばが普通の家です。
 
せっかくの遺跡がゴミでまみれていたり。
 CIMG4213.jpg
こちらドルーズ派のモスク、アインザマーン。
 CIMG4220.jpg
「ローマ時代からあるんだぜ。」
と管理人に言われましたが、どうなんでしょうね。
 
この他にもスウェーダ市街では遺跡がいたるところで顔をのぞかせており、観光地とは違った楽しみがあります。
 
もちろんシャハバやカナワットなど整備された遺跡もありますが。
 
こんなスウェーダが私は大好きです。

雑誌の記事。 Aug.13.2009

Posted by hirotoshi on 13.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
今日の活動はスルガヤ農業試験場。
 
もちろん農業雑誌を持って行き、試験場の職員に見せました。
 
まず一番に見せたのはスルガヤで一番お世話になっているアーニセ・ワファ―。
スルガヤ試験場で一番お世話になっている職員です。
 
見るなり開口一番、
「ヤー ヘルー!(おー すごい!)」
と喜んでくれました。
 
しかし、彼女は私の記事よりも別なページの薬草の話の方が興味あったみたいですが・・・
 
今回の記事ですが、編集されている個所もありますが、基本的に私が書いた記事です。
あくまでも基本的にですが。
なかなか苦労しました・・・
 
何回も普及局に記事を持って行き、訂正されては修正したり。
 
でも一番大変だったのはアラビア語で書くという行為そのものですね。
 
「こっちで訳すから英語で記事を持ってきてもいいよ。」
という優しい言葉も頂いたのですが、そこまで甘えるわけにはいかない、ということでアラビア語で記事書いて持っていくことになっていました。
 
同僚の助けを借り、一応アラビア語で書いて持っていったものの、
「何が書いてあるのかわからない。英語の文章を見せてくれ。」
と言われわたしたところ、英語の方がましだということになり、結局それを提出するという形になってしまいました。
 
悔しいやら、情けないやら、申し訳ないやらでいっぱいでしたね。
あの時は。
 
でももちろん自分の文章がそのまま使われている個所もあります。
 
アーニセ・ワファ―に言われて知ったのですが、文章の最後に試験場への謝辞的なことが書いてあるそうです。
私は書いた記憶がないのですが・・・
 
いや、書いたかな。
 
それで
「これは私に対してでしょ?何でアーニセ・ワファ―って書かなかったのよ!」
と怒られてしまいました。
もちろん冗談ですけどね。
 
私が畑で仕事をしてる間もいろんな人に見せていたらしく、仕事が終わって帰ってきたときは誰の所にあるのかわからなくなり、みんな総出で探すというハプニングもありましたが、私はみんなに見せてくれたということの方が嬉しかったですね。
 
今日も終わりにナシやモモなど果物をたっぷりもらって帰りました。
CIMG3304.jpg 

嬉しいこと2つ! Aug.12.2009

Posted by hirotoshi on 12.2009 Category: None   1 comments   0 trackback
今日は活動の打ち合わせのため、ダマスカスの普及局での仕事でした。
 
ウスターズ・サーレヘと会うのはかなり久しぶり。
 
ちょっと緊張して昨日はあまり眠れませんでした。
 
昨日電話した時はあまり機嫌が良さそうな感じがしなかったので大丈夫かな~と思っていたのですが、今日会ったときはいつものようにニコニコしていました。
 
今日の打ち合わせのテーマは2つ。
 
1つめは「絵入りリンゴ生産プロジェクト」活動地域への訪問の許可取り。
前回の講習で、4県の講師に収穫までの絵入りリンゴの作り方を教えました。
講師はそれを各県に持ち帰って農家に指導してもらうことになっています。
 
早い地域ではもうそろそろ袋をはいで、シールを貼らなければいけません。
 
しかし、私はどうもやってくれない気がしてなりません。
 
なので、本当は行く予定はないのですが、やはりきちんとやってくれているかどうか自分の目で確かめたいので、「1人でいいから行かせてくれないか?」と頼みに行きました。
 
すると意外とあっさりとOKをくれ、レター(許可書的なもの)を書いてくれました。
しかし、やはり私1人で行くというのはあまり良くないらしく、まずは各県の普及局に行き、それから県の普及員とプロジェクト実施地域に行くような手筈を整えてくれました。
 
本当にこれだけのサポートを得て活動できるのは申し訳ないくらいありがたい次第です。
 
2つ目のテーマは、プロジェクトのまとめについて。
 
私はこのプロジェクトで「普及」と「試験」を行っています。
このプロジェクトの最後のまとめとして、試験場に普及員を呼び、品評会的なことをやりたいと思っています。
そのアイデアを話そう話そうと思って、ずっとタイミングを見ていたのですが、あれよあれよという間に時間が過ぎ、そんな悠長なことが言っていられなくなりました。
 
まずはウスターズ・サーレヘにそのことを話すと、
「なんのためにやるんだ?」
と反応は少し曇り気味。
そこにギョロ目のウスターズ・アリヤースも加わり、何をやりたいのかを必至で説明しました。
この品評会は自分の中でも目的が明確にあるので、説明には苦労しませんでした。
 
品評会の目的は4つ。
1つは私が作った絵入りリンゴの紹介。
今回のプロジェクトで4県でも作りますが、今までの感じではあまり綺麗なものができるとは思えません。
そこで、私が作った絵入りリンゴを見せ、こんなのもできるんだ、というのを見せ、来年の生産意欲を掻き立てたいと思っています。
 
2つめはそれこそ品評会。
各県で作った絵入りリンゴを持ち寄り、その成果を見せあい、これもまた生産意欲向上の刺激になるかな~と思っています。
 
3つめはプロジェクトの振り返り。
どんなプロジェクトの目的、生産過程をもう一度皆で振り返ります。
 
そして4つめ。
4つめの目的は裏の目的なのですが、かなり重要。
普及と試験の交流の場の設定です。
リンゴに限らず、私はシリアの農業が向上するためには試験と普及が足並みをそろえて問題に取り組んでいくことが重要だと思っています。
しかし、シリアではそれが全くありません。
今回はせっかく試験と普及をやらせてもらっているので、これを利用しない手はありません。
私にとってこれは超間接的ですが、節水灌漑農業技術の普及に貢献できる一つの方法かな、と思っています。
節水灌漑の分野でも試験と普及が一緒に仕事をしていく、ということは重要ですから。
 
これを2人のウスターズの前で説明しました。
 
1つめの目的を話した時はなんだか反応はよくありませんでした。
 
しかし、2つめの目的を話した時、これがすごく気に入ってもらえ、ウスターズ・アリヤースには
「エクセレント!」
とまで言われました。
これは嬉しかったです。
 
3つめの目的は、ふ~んというような感じで流されたのですが、2つめの目的の感触が非常によかったので手ごたえは感じました。
 
4つめの目的は裏なので話していません。
 
そして嬉しいことがもう1つ。
 
半年くらい前でしょうか。
農業農地改革省発行の農業雑誌に絵入りリンゴの記事を書いてみないか、というお話をもらいました。
締切ぎりぎりになってしまったのですがその記事を書いて提出したのですが、その後何の音沙汰もなく、てっきりこの話は流れたのかな~と思っていました。
 
しかし、流れてはなかったようで、今日私の記事が載ったその本をもらいました!
その本の表紙と記事がこちら。
 表紙 記事
小さいながら隅っこに私の名前も載っています。
まるまる1ページ、写真もきれいに載せてくれ、飛び上りたくなるくらい嬉しかったです!
 
帰り際にはウスターズ・サーレヘ、ウスターズ・アリヤース本の編集を担当してくれたウスターズ・ハッサーンなど、会う人すべてに、「シュクラン!シュクラン!」とお礼を言いながら帰りました。
 
その足でJICA事務所に行き、事務所では所長をはじめ我慢できず会う人皆に記事を見せ自慢してしまいました。
 
私にとってこれはもう最高のプレゼントですね。
 
ここ2週間ほどこれといった活動が無く、帰国間際にも関わらずやる気が落ちていました。
しかし、私も現金なものでウスターズ・アリヤースに最後の品評会のアイデアを気にいってもらったこと、私の記事を雑誌に載せてもらったことにすっかり気をよくして一気にやる気が復活しました。
 
でも褒められたりとか目に見える成果がでるということはやる気を持続させるという意味では大事なのかもしれませんね。
 
ただ気をつけなければいけないのはそこで図に乗ってしまわないことだと思います。
 
昨日の話ではありませんが、日本人の私としてはそこは謙虚に行きたいと思っています。

謙遜の捉え方。 Aug.11.2009

Posted by hirotoshi on 11.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
私のカウンターパート、アイマン。
 
ブログではアイマンと呼び捨てにしていますが、普段はウスターズ・アイマン(アイマン先生)と呼んでいます。
もちろん周りもそうです。
 
シリア、いやたぶんアラブ全域でそうだと思うのですが、子持ちの男性、女性を呼ぶとき、名前ではなく「アブー~(~のお父さん)」、「ウンム~(~のお母さん)と呼んだりします。
むしろこちらで呼ぶことの方が多いです。
 
アイマンの子供(長男)の名前はアブドー。
なのでアイマンはアブー・アブドーと呼ばれています。
 
しかしここで気になることが一つ。
 
試験場の職員はアイマンのことをアブー・アブドーと呼ぶときウスターズをつけません。
確かに日本語に訳しても、「アブドーのお父さん先生」となるのでおかしいな、というのは想像つきます。
 
ただどうもウスターズをつけないのは失礼な感じがして、私はアブー・アブドーと呼べません。
 
ちょっとそこのところが気になったので、ワーエルにアブー・アブドーと呼ぶのは失礼じゃないのか聞いてみました。
 
ワーエルによるとまず「ウスターズ・アブー・アブドー」と呼ぶのはあり得ないとのこと。
理由は変だから。
これはまあ納得できます。
 
じゃあ、「アブー・アブドー」と呼ぶのは失礼じゃないのか。
これは、やはりワーエルも最初は戸惑ったそうですが、特に失礼でもないそうです。
でも私はやはり抵抗がありますが。
 
その流れでワーエルが面白いエピソードを一つ教えてくれました。
 
それは言葉づかいとその受け止められ方。
 
日本では尊敬語、謙譲語、丁寧語など時と場所によって使い分けますが、それはもちろんシリアでも一緒です。
ただ日本が過剰なのか、シリアは日本ほどではありません。
 
またその受け止められ方なのですが、シリアと日本では真逆です。
日本ではへりくだった言葉使いというのはどちらかというと、礼儀正しいというような良いイメージに捉えられると思うのですが、シリアでは違うようです。
 
シリアでへりくだった言葉を使うということは、上下関係を示すというか、謙った方は弱いと捉えられるらしいのです。
もちろんそれはすべてのケースではなく、人によってはもちろん気をつけなければいけませんが、日本見たい過剰なのは逆にマイナスみたいです。
 
それを聞いたときおもしろいな~と思いました。
 
もしもそういった情報がないと、たとえば日本に来たシリア人とか見て
「こいつはなんて無礼な奴だ!」
と思ってしまうかもしれませんね。
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雲と勲章とクラクション。 Aug.10.2009

Posted by hirotoshi on 10.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
 「ヤーサラーム(すごーい的な感じ)。」
太陽が雲で隠れたときの同僚の一言です。
 
ほんの一瞬だったのですが、ダマスカスでは数ヶ月ぶりのことだったのではないでしょうか。
 
 
シリア人が日本の天皇から勲章をもらったそうです。
 
ワーエルがニュースで見たらしく、そのシリア人は考古学者かなんかで、遺跡の発掘に貢献したとかどうとか言っていました。
 
詳しいことはわかりませんが、誰でしょうね。
 
 
最近ハランでは結婚ラッシュ。
特に今はラマダン直前で(ラマダン中は結婚式ができない)、駆け込みでの結婚式が多いみたいです。
そんなに若者がいるのかと思うほど毎日のように結婚式が行われています。
 
おめでたいのですが、私にとっては今一番のストレスの原因となっています。
シリア、もしかしたら村だけなのかもしれませんが、とにかく騒々しい。
 
その中でも一番嫌なのが車のクラクション。
 
新郎新婦親戚一同を乗せた車やバスがクラクションを鳴らしながら走るのですが、とにかく迷惑なのです。
シリアの車のクラクションは日本の車みたいなかわいい音ではなく、裂音というか心臓に響く爆裂音で日本の暴走族なんてかわいいもんです。
 
しかもそれが夜の11時とかなので、迷惑極まりありません。
 
同僚に愚痴ったら、結婚式だからいいじゃないか、と諭されましたが、シリア人はストレスに感じないんですかね。
 
あのクラクションは禁止にしてくれないかな~と結構本気で思ってます。
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発展と伝統。 Aug.9.2009

Posted by hirotoshi on 09.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
 「日本は発展した国だが伝統も残っているところがすごい。」
ワーエルの従弟が日本に行った時の感想だそうで、ワーエルも
「お前の話を聞いていると俺もそう思う。」
と従弟の感想に同意していました。
 
それを聞いたとき私の頭の中には
「日本ってそんなに伝統が残っているのだろうか?」
「ワーエルにそんなに日本の伝統のことを話したっけ?」
という二つの疑問が同時に浮かびました。
 
私が話した中でワーエルが一番面白いと思ってくれたものは『女性の着物の話』だそうです。
確かに以前、
「日本には着物という伝統的な衣装があり、未婚の女性は袖の長い着物、既婚の女性は袖の短い着物を着る。」
ということを話したことがあります。
それがワーエルにとっては興味深かったそうです。
 
他に話したことと言っても覚えていません。
 
逆に私が、
「シリアにだって伝統はたくさん残ってるじゃないか。」
と反論したところ、
「シリアは今発展しようとしている国だ。でもその代り伝統はどんどん失われている。」
との答えが返ってきました。
 
これは意外です。
シリアにはダマスカス旧市街をはじめ、古い建物がたくさん残っています。
しかし、これらはワーエルに言わせると歴史的価値はあるかもしれないが伝統ではないとのこと。
 
なるほど。
そう言われればそうですね。
ダマスカス旧市街の古びた建物や街並みを見て、ダマスカスは伝統があるな~と無意識に思っていましたが、それを伝統かと言われれば確かに疑問です。
 
じゃあ、伝統とは何か?
 
辞書によると伝統とは・・・
「ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それを受け伝えること。」
 
何か小難しいですね。
 
まず伝統として挙げられるのは宗教でしょうか。やはり。
シリアのイスラム教、キリスト教、日本の仏教、神道も古くから受け継がれているという点では伝統の代表格でしょう。
 
他に伝統的なもの。
 
そういえば伝統という言葉はよく「伝統的~」という風に使われますね。
伝統的音楽、伝統的衣装、伝統的踊り、伝統的料理のように。
 
辞書では思想や習慣も伝統の一つと説明されています。
ということは、挨拶の仕方一つとってもそれは伝統的なものだ、といえるわけです。
でもそういうものは普段、伝統的なものとして意識することはないでしょう。
 
私の中で「伝統的なもの」、といえば「少し日常と離れたところにある何か特別なもの」、「その集団特有のもの」、というイメージがあります。
一般的にもそうじゃないでしょうか?違いますかね。
 
話は戻りますが、ワーエルの
「シリアは発展しようとしてる国だが、伝統は失われている。」
という発言。
 
ワーエルはそれが残念なことだと思っているようですが、私は発展過程で古いものが淘汰されていくのはある意味自然なことじゃないか、と思うのです。
 
かつて日本だって発展途上中、多くの伝統というか古い習慣、しきたりなどが失われたでしょう。
 
しかし、それでも淘汰されずに残っているもの。
 
そられはきっと自分たちのアイデンティティーを喪失しないため、先人が選びぬいて私たちに受け継いできているのではないでしょうか。
 
そういう意味ではシリアは今、発展すると同時に自分たちのアイデンティティーを再確認する時期にいるのだと思います。
 
何を後世に受け継いでいくか。
 
本当にそれが争いごとでなければいいですね。
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もうすぐラマダン。 Aug.8.2009

Posted by hirotoshi on 08.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
もうすぐラマダンです。
 
今年は8月20日頃から9月20日頃まで。
 
去年もそうですが、ここ数年のラマダンは最も厳しいラマダンになります。
暑いし、断食の時間が長いし。
 
今日も18時からアラビア語の授業。
 
私の先生、アハマドはムスリムですが酒を飲みます。
そこで断食をするのかどうか気になり、聞いてみました。
 
すると、
「俺はやんないよ。だってお腹すくでしょ。」
とあっさり期待を裏切らない答えが返ってきました。
そして、
「俺ってマジヌーン(crazy)かい?へへへ。」
とまで。
 
アハマドはお祈りもしないし、モスクにも行きません。
戒律の緩い宗派(アラウィー)出の人ということもあり、そういう考えをもっているのかもしれませんが、私はアハマドのその答えを聞いたとき、なぜかほっとしたというか嬉しくなりました。
 
なぜでしょうか。
 
酒を飲み、お祈りをせず、断食もしない。
 
不良ムスリムの典型ですが、アハマドはまあまあいい人です。
ときどき、いや結構イラッとすることもありますが。
 
逆に酒を飲まず、お祈りもしていて、断食をする人でも嫌な人はいっぱいいますからね。
 
なんといいましょうか、私は自分がイスラム教徒であることを鼻にかけて話して来る人が好きではありません。
そういう人に限って他人の宗教を否定したり、改宗をすすめてきたりします。
また、そういう人にイスラム教の説明をされても全く説得力がありません。
 
彼らがアッラーの説明をするとき、よく次のような質問形式で説明してきます。
 
シリア人(以下、シ):「お前は誰がつくったんだ?」
私:「お父さんとお母さんだ。」
シ:「じゃあ、お父さんとお母さんは誰がつくったんだ?」
私:「おじいちゃんとおばあちゃんだ。」
 
もうこの辺で「人間をつくったのは神だ」、と言いたいのは見え見えなのですが、このやり取りはまだ続きます。
 
シ:「じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんのずっとずっと前は誰がつくったんだ?」
私:「サルだ。」
 
この後も「誰が~をつくったんだ?」という問いに対し、私が虫だの魚だの微生物だのと答えると、最終的に
 
シ:「じゃあ全てのものは誰がつくったんだ?」
となり、アッラーと答えるのもしゃくなので、
私:「・・・わからない。」
と答えると
シ:「アッラーだ!」
となるわけです。
 
・・・子供ならこれでもいいでしょうが、いい大人相手にこんな説明でアッラーを信じろなんて無理な話です。
むしろアッラーの説明をするためにそんな説明しかできないのかと、そっちの方が残念です。CIMG3067.jpg
イスラム教について理解するのは彼らにとっても難しいらしいですが、説得するならそれなりの知識は持っていて欲しいです。
 
中途半端な知識で知ったかぶられるのは一番不愉快です。
 
それよりなら、アハマドのように「断食しない俺ってマジヌーンかい?へへへ。」とジョークを言えるくらいの余裕をもった人の方が普段腹たっても、よっぽど好きです。
 
まあ、アハマドに関しては、
「先生はアラウィーですか?」
という質問に対しても
「親はそうだけど、俺は関係ねぇよ。」
と宗教に対しチャランポランなところもありますが。

ボスラ祭り。 Aug.7.2009

Posted by hirotoshi on 07.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
今年ボスラでは8月6日から8月14日までお祭りが開催されます。
 
その1日目が一番盛り上がるとダラー隊員Kさんに聞いていたので、昨日フィールドデーが終わったその足で、ボスラに向かいました。
 
着いたのは17時ころですが、まだ人もまばらです。
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本当に祭りがあるのか、と思ってしまいました。
 
しかし、そんな疑問も会場を見たらあっというまに払しょくされました。
 CIMG41711.jpg
会場は国旗の山。
いたるところに飾られていました。
 
遺跡には大きな垂れ幕がかけられています。
CIMG41700.jpg 
毎日コンサートがあるようです。
 
こんなところでコンサートを聴けるなんて贅沢ですね。
 
イベントが始まるのは20時。
それまで、ブースを回ってみることにしました。
 
省庁、会社などいろんなブースがでていましたが、一番面白かったのがパルミラからのベドウィンブースでした。
れっきとした省庁の一部局のブースです。
 
男の人はみなグラビーエを着ています。
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ベドウィンといえば普通遊牧民、テント暮らしで羊で生計を立てているのですが、パルミラのベドウィンは少し違います。
 
彼らは完全にパルミラの観光資源の一部と化しており、パルミラの案内、ベドウィンの生活を公開することなどで生計を立てています。
なので、羊を飼っていない人も多いようです。
 
こちらはウードを弾くおじさん。
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絵になりますね。
 
チーズを作るおばさんたち。
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ベドウィンはこうやってチーズを作るそうです。
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人が集まり、音楽が始まりした。
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グラービーエを着たおじさんたちの前に立つのは彼らの先生。
 
服装を直したり、
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「手は強く叩くんだ!」
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など、結構な熱血指導でした。
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ベドウィンのおじさんたちがかわいく見え、面白かったです。
 
19:30。
遺跡前の広場でパレードやらが始まりました。
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 私はバグパイプといえばアイルランドとかスコットランドとかを連想してしまい、なんでシリアでバグパイプなのかな~と思っていたのですが、トルコのバグパイプも有名だそうですね。
 
20:00。
劇場が開場し、中では開会式やら踊りやら歌やらが始まりました。
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国家から始まり、観光省大臣、文化省大臣、ダラー県知事等のあいさつ、パレスチナのダンスなど盛りだくさん。
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パレスチナ、バース党の旗が登場したり、「エルサレムはムスリムのものだ。」というきな臭い発言もあったり、せっかくのお祭りなのに・・・と思う場面も多々ありましたが、全体的には盛あがったお祭り1日目でした。
 
 

アイマンは来てくるか? Aug.6.2009

Posted by hirotoshi on 06.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
朝、職場に着くなり一番にアイマンのところに行きました。
 
そして開口一番、
「今日一緒にフィールドデーに行って欲しいんだけど・・・」
と聞くと答えは
「アイム ソーリー」
 
やはりラッカに行くのか、と思い理由を尋ねるとラッカ行きは中止になった様子。
でも会議が入ったとかで行けなくなったそうです。
 
残念ですがそれならばしょうがありません。
一緒に行くのはあきらめて1人で行くことにしました。
 
フィールドデーは10時30分からなので、まずズブディーンの普及所に向かいました。
ズブディーンの普及所も私の職場から近く、直接だと20分位でつくでしょう。
ただ、セルビスが少し不便なのですが、この日はウサーマが途中まで迎えに来てくれました。
 
普及所でいろいろ話を聞いたのですが、今日のフィールドデーは2グループの農家を対象に行われます。
1グループはすでに近代灌漑を導入しているグループ。
もう1つのグループはこれから近代灌漑を導入する予定のグループ。
 
さらに人数も10人程度と絞っているそうです。
理由は人数が多いと講習がやりづらいから。
 
私はこれらのアイデア、すごくいいと思います。
やはり闇雲に農家を集め講習を行っても興味のない人には関心ないでしょうし、人数が多いとやりづらい、というのも確かです。
 
肝心の講習内容ですが、テーマは2つ。
1つ目は経済。
近代灌漑を導入するとどれだけ得する、ということを教えるそうです。
2つ目は水圧と流量の関係。
ちょっと説明だけでは理解しきれませんでした。
 
フィールドデーの会場に移動はムレイハにある農家。
 
これがまた大きな家を持った農家でした。
きっと、農業以外の仕事もしてるんでしょうね。
 
そして、事前には10人程度と聞いていたのですが、どんどん人が集まり講習が始まる頃には30人位はいたのではないでしょうか、かなりの人がいました。
 CIMG4113.jpg
1つ目のテーマ、近代灌漑の経済性。
 
これはうまいな~と思いました。
 
ウサーマが一方的に説明するだけではなく、すでに近代灌漑を導入している農家に、どれくらい収入は変わったか、仕事の量は変わったか、と質問をするようなインタビュー形式で行っていました。
これなら、導入を考えている農家もわかりやすいでしょうね。
 
2つ目は圧力と流量の関係。
CIMG4124.jpg 
というよりも、同じ圧力でホースの先端と中央部と基部でどれだけ流量に差がでるのか、ということを説明し、畑で測定しました。
 
講習後は休憩。
 
農家の家の中に入ったのですが、すごく広く、中には小さなプールもありました。
 
でもプールでは水が流しっぱなし。
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これではせっかく畑で水を節約しても意味がありませんね・・・
 
そしてみんなでお昼ご飯。
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ついでなので、ここで少しシリアの食べ物の紹介。
 
フール。
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ソラマメの煮込み料理です。
シリア家庭料理の定番ですね。
朝食でよく食べます。
 
ホブズ。
CIMG41688.jpg 
こちらの主食です。
パンみたいなものです。
アラブ地域での主食らしいですが、国によって少し異なり、シリアのホブズは直径20㎝位の円形で二重構造になっています。
砂糖を相当使っており、結構高カロリーだそうです。
 
ホンモス。
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これもシリアの定番料理。
ひよこ豆のペーストです。
写真のは固まってしまっていますが・・・
独特のにおいで最初は苦手だったのですが、慣れるとなかなかおいしいです。
 
オリーブ。
CIMG41677.jpg 
シリアにきて始めて食べました。
これも最初はおいしいとは思わなかったのですが、今では好物の一つです。
ちなみに、オリーブはシリア地方が原産地らしいです。
 
さて、肝心の講習会。
 
アイマンを連れてこなくてよかったな~と思いました。
連れてきたところできっと飽きられただろうし、今後一緒に仕事を使用などという気持ちにはならなかったでしょう。
 
私はとにかく一緒に行って、交流の場を作り、あわよくば今後一緒に仕事ができるような方向性を見いだせないか、という期待を抱いていたのですが、それではあいまいすぎますね。
 
連れて行くからには何をする、というもっと具体的な目的がなければ、なあなあになって終わってしまいます。
 
これは今回私が反省すべき点ですね。
 
講習自体は、ウサーマはすごく頑張っていました。
人数を限定すること、対象農家を選定することなど、私にとっても勉強になるところはたくさんありましたし。
 
気になったところといえば、段取りの悪さですかね。
資料の準備や、講義の進め方が良くなかったような気がしました。
 
でもそれはウサーマだけの責任ではありません。
 
シリア人、特に農家に対して講義をする、ということは本当に難しいことだと思います。
それはこちらの習慣からくるところもあるのですが、まず一つにシリア人は講義を受ける、ということに慣れていないし、好きじゃないと思います。
特にそれが農家となるとなおさらで、早くから学校に行くことをやめ仕事をしている人も多いし、年配の人が多いので、長時間の講義というのはきついでしょう。
 
ウサーマの講義の仕方はプロジェクトの研修(日本人専門家、もしくはシリア人カウンターパートが講師でウサーマのような普及員に対し行う講義)での講義方法に近いように感じました。
 
しかし、それは対象が大学や専門学校を出て、しっかり教育を受けている普及員だから通用する方法であり、農家にその方法で講義を行うのは適当ではないような気がします。
いや、先週のSMS研修を見る限りでは普及員に対しても通用していませんでしたね。
 
講義法は要検討事項だと思います。
 
こういうことを考えると、はじめから活動先がここだったらな~と思ってしまいますね。
 
でも、はじめから活動先がズブディーンの普及所だからと言ってうまくいくとは限りませんが。
 
難しいとこですね。

どうやって誘うか? Aug.4.2009

Posted by hirotoshi on 05.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
 特にアイマンをうまく誘うアイデアも思い浮かばず迎えた朝。
 
「昨日ウサーマから電話があり6日にフィールド デーが開催されるんだけど、一緒に行かない?ウサーマも来て欲しいって言ってるし。」
と結局なんのひねりも入れることができず、ストレートに誘ってしまいました。
あえてひねったといえば、ウサーマが来て欲しいといっている、というアイマンが頼りにされているんだ、という意味を込めた文をつけ足したくらいでしょうか。
 
そのアイマンの答えは
「アイム ソーリー。」
やはりあれは社交辞令だったのかと思ったのですが、明日ラッカに出張なんだそうです。
 
そういえば先週の研修会の時言ってましたね・・・
ラッカにレーザーランドレベリングの指導だかに行くとか。
 
レーザーランドレベリングを操作できる人はシリアに5人位しかいないらしく、アイマンはその一人。
なので、いろんなところから声がかかります。
去年もレーザーランドレベリングの指導でデリゾールに行ってましたし。
 
しかしその出張も本決まりではなく、90%だそうです。
 
前日に本決まりじゃないってなにそれ、とも思いましたが、シリアでは普通ですね。
 
しかも、日本で90%といったらほぼ100%ですが、シリアの90%は日本で言う50%くらいですから。
 
まだ望みはあります。
CIMG3443.jpg 

フィールドデー。 Aug.3.2009

Posted by hirotoshi on 04.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
8月の5、6日、つまり明日か明後日のどちらかにズブディーンで灌漑のフィールドデーがあります。
先週のSMS講習会でズブディーンの普及員、ウスターズ・ウサーマから聞きました。
 
5日か6日になるかは後で連絡すると言われていたのですが、4日の午前中の時点でまだ連絡がありません。
明日やるなら今日中に連絡をもらわなければいけません。
 
しかし連絡が来ない。
 
いつ連絡がくるのか。
 
電話番号を知っているのでもちろん私から電話をかけて聞くことができます。
 
しかし、できることならウサーマから連絡をしてきて欲しい。
私にでもアイマンにでも。
 
先週の講習会で、ウサーマの講習を受ける姿勢は他のどの人よりもすばらしく、私とアイマンに一緒にやろう、来週のフィールドデーに来てくれ、と言われた時はとても嬉しかったです。
 
しかし、その言葉をどこまで信用していいのか?
今までの経験上、そこが不安なのです。
 
決してシリア人がうそつきだとか、信用していないというわけではありません。
 
なんといいますか、あえて言うなら、一緒に仕事をしたい、という言葉が本音なのか社交辞令なのか、というところです。
 
日本人も社交辞令を使いますが、シリア人もすごく使います。
 
一緒に仕事をしたい、という言葉がどちらなのか。
 
おこがましいですが、できることならその言葉が彼の本音であって欲しいし、本音なら彼から連絡してくれるはずです。
 
しかし、残念ながら午後になっても連絡はありませんでした。
 
なので、もうこちらから電話をしたのですが、携帯の電源を切っているのか壊れているのか、電話が通じません。
だからと言ってこのチャンスを逃すのは非常に惜しいです。
 
どうにかして連絡をとれないかと考えたのですが、結局電話をかけ続けるというアイデアしか思い浮かばず、仕事が終わっても1時間おきに電話をかけ続けました。
 
そして粘ったかいがあり、19時に電話がつながり、ウサーマと連絡を取ることができました。
講習は明後日(6日)になり、電話はやはり故障していたそうです。
 
とりあえず連絡が取れてホッとしました。
 
次はアイマンをどうやって誘うか。
 
先週は行くと言ってくれましたが、彼も他のシリア人同様、社交辞令をよく使うのでそれが本当かどうかはわかりません。
 
しかし、絶対にアイマンと行きたい。
 
さて、どうしよう。
CIMG3638.jpg 

スーフィーダンス。 Aug.2.2009

Posted by hirotoshi on 02.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
ダマスカス、ウマイヤド・モスクに続き歴史つながりで。
 
だいぶ前になるのですが、ウマイヤド・モスクの近くのレストランでスーフィーダンスを見てきました。
 
こういう感じのダンスです。
DSC03072.jpg 
白く長いスカートをはいた男の人が音楽に合わせてクルクル回るだけのダンスです。
 
シンプルなダンスなのですが、私の目にはとても美しく神秘的に映り、見とれてしまいました。
 
それもそのはず、このダンスの起源はイスラム教にあります。
 
そもそもこのスーフィーダンスはスーフィズム教団であるメヴレヴィー教団の宗教行為です。
 
なんだかよくわかりませんね。
 
流れを追って書いてみたいと思います。
 
7世紀前半、ムハンマドによりイスラム教が創唱されます。
前回も書きましたが、ムハンマドはイスラム共同体(小さなイスラム教国家)を作ります。
ムハンマドの死後も、後継者はイスラム教、イスラム共同体の普及、拡大を行い、イスラム共同体はイスラム大帝国と呼ばれるまで大きく成長しました。
 
イスラム大帝国にとってイスラム教の教義は憲法のようなもの。
当時の官僚は帝国をしっかり統治するために、教義を体系化(国を統治するために使いやすくまとめた?)していきます。
 
ここで登場するのがスーフィー(スーフィズムをもった人)。
彼らはイスラム教が形骸化していくのを恐れ、独自の教義を編み出していきます。
スーフィーも諸派あり、教義も様々なようですが、禁欲的で厳しい修行を行い、神との一体化を求める、というのがスーフィズムの基本的考えらしいです。
 
スーフィーが登場するのが9~10世紀頃。
この頃のイスラム帝国といえば、アッバース家率いるアッバース朝。
 
アッバース朝ではイスラム帝国の版図がさらに拡大し、その範囲は過去最大のものとなりました。
そのため、統治するためにも余計教義を体系化させる必要があったのでしょうね。
最終的には分裂してしまいましたが。
 
またスーフィーも、神との一体化のために禁欲や厳しい修行を行う、ということは当時の生活はかなり豊かだったんでしょうか。
 
さて、メヴレヴィー教団はそんなスーフィーの一教団として誕生しました。
 
彼らは日本語では旋舞教団と呼ばれ、スカートをはいた信者が音楽にあわせて、クルクルと回転し、踊るという宗教行為を行っています。
 
これは彼らにとって祈りの手段であり、神との一体を図るというものであるそうです。
 
しかし、スーフィーは国家、またイスラム教原理主義からも異端とされているようで、現在では彼らのダンスもショー目的のみでしか許されていないそうです。
 gf.jpg
シリアではすごくシンプルですが、エジプトなんかではライトアップされたりスカートもカラフルだったり、かなりショーアップされているようです。
 
私はシリアの方が素敵だな~と思いますが。
 
なんにせよ、もう一度くらいは見てみたいです。
DSC03051.jpg DSC03086.jpg
DSC03095.jpg スーフィー1
 

ダマスカスとウマイヤド・モスクについて。 Aug.1.2009

Posted by hirotoshi on 01.2009 Category: None   0 comments   0 trackback
今日はアラビア語の授業の日。
 
最近よく怒られるのが発音。
もちろん授業を始めた時点から怒られていたのですが、最近しびれを切らしたのか、口調が厳しくなってきました。
 
私が特に苦手なのが「ら」。
アラビア語にもRとLがあるのですが、私には聞いただけではまず区別がつきません。
先生が言ったのを書くという書き取りの練習で、RとLを間違うと、
「オォ~、ヒロ~、ヤーバーニー・・・」
と日本人はこれだからダメだ的に厭味ったらしく説教されます。
私の他にも日本人の生徒がいるのですが、みんな苦労しているみたいですね。
 
さて、今日の授業の長文のテーマはダマスカス、ウマイヤド・モスクの歴史について、でした。
 
ダマスカス旧市街は「世界最古の都市」として世界遺産にも登録されていますが、「世界一古くから人が住み続けている都市(首都?)」というのが正確なようです。
 
その“ダマスカス”という名も古くからあり、聖書やもっと古くはエジプトのファラオの書物、さらにはアラム人が残した粘土板にも登場します。
 
名前の由来も諸説あるようで、アラム語の“ダルメセク(よく灌漑された場所)”とか、私が一番面白いな~と思ったのは、“ダマスカス”はアラビア語で“ディマシュク”というのですが、アブラハムが何かを“ディマ”と“シュク”と名づけ、“ディマシュク”という名はそこから来ている、という話です。
これはセルビスでたまたま一緒になった歴史を勉強している大学生に教えてもらいました。
 
とにかくダマスカスは古く、観光ガイドやらには4000年前とか書いていますが、アラビア語の教科書には7000年以上の歴史はあるんだ、と書いてあります。
 
そんなダマスカス、歴史上様々な国の支配を受けますが、最も繁栄したのがウマイヤ朝時代(661年-750年)。
ダマスカスはウマイヤ朝の首都として繁栄したのですが、この時期のダマスカスはイスラム帝国の歴史的、また文化的にも重要な役割を果たしています。
 
ここで少々イスラム、そしてダマスカスの歴史を。
 
イスラム教を始めたのはご存じムハンマド。
610年頃です。
 
ウマイヤ朝の創始者はムアーウィヤ。
661年です。
 
ムハンマドはイスラム教の拡大とともに、イスラム共同体(小さなイスラム国家みたいなものでしょうか?)を建設し、どんどんその勢力を拡大させて行きました。
 
ムハンマドの死後、誰がカリフ(イスラム教の指導者、つまりイスラム共同体の長)になるか、を決めなくてはいけません。
 
その第1代目カリフにムハンマドの親友、アブー=バクルが選ばれました。
しかし、彼も病気のため、2年で亡くなってしまいます。
 
そして、第2代目のカリフとして選ばれたのが、ウマル。
彼はムハンマドとは別の部族出身で、もともとイスラム教を嫌い、ムハンマドの敵でした。
しかし、後にイスラム教に改宗しイスラム教布教に大きく貢献し、その範囲をシリア、パレスチナ、イラク、エジプトまで拡大させました。
またエルサレムで、彼はムハンマが昇天の出発点とした岩を発見し、そこで礼拝する習慣を作りました。
 
ウマルの死後、3代目カリフとして選ばれたのがウマイヤ家出身のウスマーン。
彼も歴代のカリフ同様、領土拡大、そしてコーランの完成など大きな功績をあげています。
しかし、近親者(ウマイヤ家の人々)を優遇する政策をとっていたため、不満を持つ人に殺されてしまいます。
 
そして、4代目アリー。
ムハンマドの従弟で、早くにイスラム教に改宗し、ムハンマドとともにイスラム教の布教を始めました。
しかし、もうこのころになると後継者争いが泥沼化してきます。
 
ここで登場するのがウマイヤ家出身のムアーウィヤ。
ウスマーンの死後、第4代目のカリフはアリーとムアーウィヤの間で争われました。
しかし、選ばれたのはアリー。
これが気に食わないムアーウィヤは、「ウスマーンを殺したのはアリーの一派だ!」といちゃもんをつけ、アリーと戦いますが、不利だとわかるや否やアリーと和議を結び、アリーと供にイスラム帝国のボスの座に着きます。
 
しかし、ここでアリーは新たな敵(ムアーウィヤとの和議が気に食わない一派)を作ってしまいました。
アリーはその一派、そして裏ではカリフの座を狙っているムアーウィヤ一派との戦いでどんどん疲弊していきます。
 
そしてアリーはついにその一派に殺害され、ムアーウィヤは事実上単独のカリフとなり、自己の家系によるカリフ位の世襲を宣言し、ウマイヤ朝を開きました。
どうでしょうか。
 
つまり、ムアーウィヤはイスラム史上初の選挙なしで即位したカリフだというわけです。
 
そして、なぜメッカやマディーナではなくダマスカスをウマイヤ朝の首都と定めたか?
正確なことはわかりませんが、理由は二つあると思います。
 
一つは2代目カリフのウマルがムアーウィヤにシリア地方の統治をまかせていたこと。
もう一つは、地理的条件。
今のダマスカスの姿からは想像もできませんが、当時は川も流れており、水も豊富だったそうです。
 
そして、ウマイヤ朝時代のダマスカスは当時の文化、科学、政治等の中心で、この時期に大きく花開いたそうです。
 
その代表がウマイヤド・モスク。
ウマイヤド・モスクは8世紀初頭に完成したモスクですが、世界最大かつ現存する世界最古のモスクだそうです。
本当でしょうかね。
もっと大きいモスクあると思うのですが。
預言者のモスクとか。
ちなみに、エルサレムのアルアクサ・モスクが建設されたのも同時期です。
 
さて、そのウマイヤド・モスクですが、これまた深い歴史をもったモスクなのです。
 
ウマイヤド・モスクはもともと、ビザンチン帝国の大聖堂、洗礼者ヨハネ聖堂でした。
それを改築し、ウマイヤド・モスクにしたのです。
ヨハネの首は今でもウマイヤド・モスク内で祀られています。
 
そしてさらにその前は、カナン人の神殿だか聖堂かなんかだったらしいです。
 
つまり、ウマイヤド・モスクがある今の場所は形を変え、長い間祈りの地としてその役割を果たしているわけですね。
 
いやいや、調べてみると面白いですね。
ウマイヤドモスク①